「禁欲した方が良い」は本当か?精子DNA損傷から見えてきた新しい常識
不妊治療において長年、「採精前は数日禁欲した方が良い」と考えられてきました。WHO(世界保健機関)のガイドラインでも2〜7日の禁欲期間が推奨されています。
しかし近年、この常識を見直す研究が次々と報告されています。今回は、「長くためた精子は本当に質が良いのか」という、不妊治療を進める上で非常に重要なテーマを扱った2つの論文をご紹介します。
禁欲期間が長いと、精子の「数」は増えるが「質」は下がる?(2019年論文)
まず、2019年の『Andrology』に掲載された論文をご紹介します。この研究では、818人の男性と483周期の顕微授精(ICSI)症例を対象に解析が行われました。
解析の結果、禁欲期間が長くなるほど、精液量、精子濃度、総精子数は増加していました。つまり、「長く禁欲すると精子数が増える」という従来の考え方自体は、この研究でも確認されています。
しかし、この論文で最も注目すべきは精子の「質」に関するデータです。
精子DNA損傷率(DFI)の上昇と妊娠率への影響
同じ解析において、禁欲期間が長くなるほど「精子DNA損傷率(DFI:DNA fragmentation index)」が増加していることが分かりました。つまり、精子数は増えても、DNAが傷ついた精子の割合も増えていたのです。
さらに、禁欲期間が長いほど、以下の数値が低下する傾向がみられました。
○ 受精率
○ 胚盤胞到達率
○ 着床率
○ 妊娠率
特に禁欲期間が4日以下のグループでは、精子DNA損傷率が低く、着床率や妊娠率が良好でした。さらに「1日禁欲群」において、最も高い着床率を示していたのです。
【論文の考察】
精子が長く精巣上体内に留まることで、活性酸素による「酸化ストレス」を受け、DNA損傷が増える可能性があると指摘されています。
最後の禁欲期間だけじゃない?「その前の射精時期」も影響する(2024年最新論文)
一方、2024年の『Frontiers in Endocrinology』の論文では、さらに一歩踏み込んだ解析が行われています。
この研究では、「最後の禁欲期間」だけではなく、「その前の射精がいつだったか」まで評価しています。これをPEA(penultimate ejaculatory abstinence)と呼びます。つまり、“最後の射精の、さらにその前の射精からどれくらい期間が空いていたか”という概念です。
1,503人の男性を対象に解析した結果、以下のことが明らかになりました。
PEA(前々回の射精からの期間)が長くなるリスク
○ 精子DNA損傷率(DFI)の上昇
○ 精子運動率の低下
○ 精子生存率の低下
特に、期間が「9日を超えたグループ」では、DFIの平均値が18.4%まで上昇していました。さらに、精子無力症や精子死滅症のリスクが高まるだけでなく、DFIが30%を超える高リスクな状態になる確率が4倍以上に増加していたのです。
まとめ:ためすぎると「老化」する。これからの男性不妊の新しい視点
2つの論文から見えてくる非常に興味深い事実は、「精子数」は増えているのに「質(DNAの健全さ)」は低下しているという点です。つまり、ためれば増える一方で、ためすぎると精子が老化してしまう可能性を示唆しています。
「排卵日までためる」が逆効果になることも
特に、排卵日に合わせて長期間禁欲し、そのタイミングだけ性交を集中させるご夫婦の場合、実は知らず知らずのうちに精子DNA損傷を増やしてしまっている可能性があります。
従来は「排卵日まで精子をためた方が良い」と考える方も多くいらっしゃいましたが、最新のデータは「長期間ため込んだ精子は、数は多くても質に問題が生じる可能性がある」という新しい考え方を示しています。
もちろん、これだけで「全員が毎日射精すべき」と極端に結論づけることはできません。しかし、以下のようなケースにおいては、「短めの禁欲期間」や「定期的な射精」が治療を有利に進める鍵になる可能性があります。
○ 精子DNA損傷率(DFI)が高い
○ 反復流産を繰り返している
○ 男性因子不妊がある
○ 顕微授精(ICSI)で結果が出ない
排卵日前から定期的に射精を行うことで、より新鮮な精子を維持できるようになります。これは今後の男性不妊診療、ひいては人工授精や体外受精の成功率を上げるためにも非常に重要なアプローチです。
これまで「精子はためた方が良い」とされてきましたが、これからは「どれだけ新鮮な精子を使うか」という視点がさらに重要になっていくでしょう。当院でも、こうした最新の知見に基づき、ご夫婦に最適な治療提案を行ってまいります。
出典
Andrology
Revisiting the impact of ejaculatory abstinence on semen quality and intracytoplasmic sperm injection outcomes (2019; Vol.7: 213–219)
doi:10.1111/andr.12572
Frontiers in Endocrinology
Association between penultimate ejaculatory abstinence and sperm quality: a cross-sectional study (2024; Vol.15:1490399)
doi:10.3389/fendo.2024.1490399
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