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院長コラム

体外受精の禁欲期間は短い方が良い?胚モザイク率(染色体異常)との関係を徹底解説

体外受精の禁欲期間は短い方が良い?胚モザイク率(染色体異常)との関係を徹底解説
INDEX 目次

体外受精を行う際、患者様から「採精前は何日くらい禁欲するのが良いのでしょうか?」というご質問を受けることがあります。


従来、WHO(世界保健機関)は2〜7日の禁欲期間を推奨していますが、これは妊娠率などの成績を検証して決められたものではなく、主に精液検査の条件を揃える(標準化する)ために設定された基準です。


長い禁欲期間が精子のDNAに与える影響

論文のIntroduction(導入部)でも詳しく説明されていますが、長期間の禁欲によって精子が体内で活性酸素にさらされる時間が長くなると、DNA損傷が蓄積してしまう可能性が指摘されています。


過去の研究でも、「禁欲期間が短い方がDFI(精子DNA断片化指数=精子のDNAの傷つきやすさを表す指標)が低く、結果として妊娠率や出生率が良好である」という可能性が報告されてきました。


そのため、臨床現場でも「できるだけ禁欲期間は短い方が精子の質が良いのではないか」という考え方が広まりつつあります。しかし、その精子DNAの損傷(DFIの上昇)が、胚の染色体状態、とくに細胞の一部に異常が混ざる「モザイク胚」の形成にまで直接関係しているかどうかについては、これまで十分に分かっていませんでした。


今回ご紹介するのは、この「禁欲期間」と「胚モザイク率」の関係をクリアにした大規模な研究です。


研究の方法:2,385周期の大規模解析

この研究では、2019年から2022年までにPGT-A(着床前胚染色体異数性検査)を施行した2,385周期を対象に解析が行われました。

※結果を正確に評価するため、男性因子不妊の診断がない症例のみを対象としています。


禁欲期間を以下の6つのグループに分類し、胚の染色体状態に差が出るかを比較しました。

○ 0〜1日
○ 2日
○ 3日
○ 4日
○ 5日
○ 6〜10日


まず、患者様の背景(男女の年齢、BMI、AMHなど)を比較したところ、各グループ間で大きな差はなく、ほぼ同等でした。また、採卵数、成熟率、受精率、胚盤胞到達率についても、禁欲期間による明らかな差は認められませんでした。


精子の数は増えるが、運動率は変わらない?

興味深いのは精液所見の結果です。

データを見ると、「禁欲期間が長くなるほど精子濃度は上昇する」という明確な傾向が示されました。

0〜1日禁欲群: 中央値 35 million/mL
○ 6〜10日禁欲群: 中央値 105 million/mL


このように精子の数は3倍近くに増えていたものの、精子の運動率には有意な差が認められませんでした。 つまり、「長く禁欲すれば精子の数は増えるけれど、元気に動いている精子の割合はあまり変わらない」ということが分かります。


最も重要な結果:禁欲期間で「モザイク胚率」は変わるのか?

この研究の核心である、各禁欲期間における胚の染色体結果(正常胚、異数性胚、モザイク胚の割合)を見てみましょう。


著者らが最も知りたかった「禁欲期間が長いほど、精子のDNAが傷ついてモザイク胚(一部の細胞に染色体異常がある胚)が増えるのか」という問いに対する答えは、「少なくともこの研究では増えなかった(各群でほぼ横ばい)」という結果でした。


さらに、男女の年齢やBMI、AMH、PGTの検査施設など、結果に影響を与えそうな要素を統計学的に補正(多変量解析)して比較しても、どの禁欲期間であってもモザイク胚の発生率に意味のある差(有意差)は見られませんでした

※一部、禁欲期間が0〜1日と極端に短いグループで正常胚(euploid)の割合がやや低く、異常胚(aneuploid)の割合がやや高い傾向も見られましたが、これは一貫したデータではなく、偶然による可能性が高いと考察されています。実際、3日・4日・5日群ではほぼ同様の結果でした。


なぜ禁欲期間が長くてもモザイク胚が増えないのか?

これまでの定説(禁欲が長いと精子DNAが傷つく)がある中で、なぜこのような結果になったのでしょうか? 論文の考察(Discussion)では、非常に興味深い理由が指摘されています。


それは、「卵子には、精子のDNA損傷を修復する能力がある」という点です。

受精後の胚は、母体(卵子)由来のDNA修復機構を利用して、精子のダメージを補正できるという過去の研究があります。そのため、禁欲期間によって精子のDNA損傷が多少増えたとしても、卵子の修復力によってカバーされ、最終的なモザイク胚の形成には直接つながらない可能性があると考えられます。


この研究から患者様へお伝えしたいこと

近年、不妊治療の世界では「できるだけ短期間の禁欲が良い(前日や当日の射精が推奨されることもある)」という考え方が広がってきています。しかし今回の研究は、少なくとも「モザイク胚の形成」という観点においては、そこまで神経質になる必要はないということを示してくれました。


日々の診察の中で、患者様から以下のようなご不安の声をいただくことがあります。

「昨日、うっかり射精してしまったのですが大丈夫でしょうか…」

「忙しくて禁欲期間が長くなってしまいました。胚に悪影響はありませんか?」


今回のデータは、こうした不安を抱える患者様にとって、「1〜10日程度の禁欲期間の違いであれば、胚のモザイク率を大きく左右する可能性は低いので、安心してくださいね」とお伝えできる、心強い安心材料になります。


もちろん、この研究は「禁欲期間なんて全く関係ない」と言っているわけではありません。実際に精子濃度は変化していますし、今回の研究ではDFI(精子DNA断片化指数:精子のDNAの傷つきやすさを表す指標)そのものを直接測定しているわけではありません。また、男性因子不妊の症例は除外されているため、重度の男性不妊がある方にはそのまま当てはまらない点には注意が必要です。


当院では、これからもこうした世界中の最新エビデンスをしっかりと検証し、過度な不安を与えることなく、お一人おひとりに最適なリプロダクティブ・ヘルス(生殖健康)をサポートしてまいります。採精や禁欲期間について気になることがあれば、どうぞお気軽に医師やスタッフにご相談ください。


論文の概要
Fertility and Sterility (2026年)
 Evaluating the relationship between ejaculatory abstinence and the incidence of embryo mosaicism
(訳:射精禁欲期間と胚モザイク発生率との関係の評価)

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